少し前、ナスの一番花がヒヨドリに食べられたのをきっかけに、畑全体に防鳥ネットを張りました。

簡易的ではありますが、天井も含めて囲ったネットの効果は想像以上で、その後はヒヨドリも、そして猿の姿もパッタリ見なくなったのです。
「これはいけるかもしれない」
そう思っていた矢先、事態は一変しました。
旅行から戻ると、畑は無惨な姿に
数日間、家族で旅行に出かけました。帰宅後、畑に目をやると、そこには信じられない光景が広がっていました。
- さつまいもは掘り返されてバラバラに
- 枝豆は引っこ抜かれ
- ナスもトマトも、かじられた痕跡と青い実が地面に散乱
- きゅうりは跡形もなくなり
- さらには、まさかのパセリやネギにまで手を出されていた
手塩にかけて育てていた夏野菜が、ほぼ全滅。
ここまでの被害を受けたのは、田舎に越して8年で初めてのことです。「心が折れる」というのはこういうときに使う言葉なのかと、実感しました。



窓から見えた犯人の姿と冷静な観察
翌朝、まだ気持ちが整理できないまま過ごしていると、屋根の上で「カタン」という物音と気配。そっと窓から覗いてみると、畑の中でミニトマトをかじっている猿の姿がありました。しかも1匹ではなく群れで来ています。
すぐに追い払おうかと思いましたが、一度冷静になり、「どうやって入ったのか」を特定することに。これは再発を防ぐためにも重要な調査です。
侵入口①:人間用の簡易開閉部がスルーパスに

畑のネットには、私たち人間が出入りするための“スカート状”の開口部を設けていました。支柱にネットをかけ、手で持ち上げればサッと出入りできる、という簡易構造。
…そこを、猿が迷いなくスルスルと通過していたのです。
「ここは開ければ入れる」
そう学習した猿にとって、ネットは障壁ではありません。むしろ人間が開閉しやすい構造は、体の作りが似ている猿にとっても開閉しやすいという盲点でした。
侵入口②:ネットとフェンスのたわみにできた隙間

もう一つの盲点は、ネットと防獣フェンスの接続部。たわみによってできた10センチほどの隙間があり、そこから猿が出入りしている様子も確認できました。
ネットは軽量で扱いやすいぶん、テンションを均一に保つのが難しく、どうしても伸縮やたるみが出ます。
とはいえ10センチ程度なら大丈夫だろうと思っていたのですが、そこから簡単に抜け出ていく姿を目撃しました。このわずかな緩みが、猿にとっては“十分な抜け道”になってしまったのです。
猿は非常に賢く、そして粘り強い
猿という動物の厄介さは、「賢さ」にあります。一度成功体験を積めば、何度でもそこから侵入してきますし、周囲の個体にもそれが共有される可能性がある。
近所でも最近、爆竹の音が増えていると感じます。これはおそらく、他の畑でも同じような被害が発生している証拠でしょう。
彼らは、網やネット、電気柵の存在を学び、それをどうやって突破するかを考え、実行してきます。一度侵入に成功した場所は、“安全なエサ場”として記憶され、執拗に狙われるのです。
まさに、うちの畑は彼らにとって安全なエサ場になってしまっています。
夏野菜は壊滅。気持ちも折れそうになった
さつまいも、トマト、ナス、枝豆、きゅうり。せっかく芽吹き、実をつけ始めていた野菜たちが、すべて根こそぎやられてしまいました。
時期は7月中旬。もう一度植え直しても、収穫までには間に合いません。つまり、今年の夏野菜はもう絶望的ということです。
単なる食材としてではなく、日々の暮らしの楽しみであり、子どもたちとのコミュニケーションであり、季節を感じる手段だった「家庭菜園」が、今回の被害でごっそり奪われたように感じました。
防鳥ネットでは不十分?今後の対策を考える
防鳥ネットは、ヒヨドリなどの小型鳥類には確かに効果がありました。しかし今回の猿のように器用で学習能力の高い動物には不十分です。
今後は、次のような対応が必要になるかもしれません:
- 出入り口にはチャック付きやフック付きの閉鎖構造を導入する
- フェンスとネットの接続部は、10cm単位で結束バンドを使用して隙間をゼロに近づける
- ネットだけに頼らず、視覚的に「進入不可」と思わせる構造(青テープや反射材など)を追加する
- 定期的に状態確認を行い、伸びたネットを張り直す
ネットでの防除には限界もあるため、より強固な囲いや音や光による威嚇装置の導入も検討し始めています。
自然と暮らすということは、コントロールできない存在と向き合うこと
「自然の中で暮らしたい」「自分たちで野菜を育てたい」
そう思って始めた田舎暮らしですが、自然はときに非常にシビアです。相手は動物であり、知恵と根気を持っています。こちらの都合や期待とは関係なく、彼らは生きるためにやってくる。
この8年間、何度も畑の失敗を繰り返してきましたが、今回ほど大きな被害にあったのは初めてです。
それでも、諦めたくはありません。また土を耕し、次の季節に向けて準備を始めるつもりです。自然と暮らすということは、「思い通りにならない」現実と向き合いながら、自分自身の暮らしを作っていくことなのだと思います。
少しずつ対策を重ねながら、次こそは収穫できるよう頑張ります!